2009年01月31日
沖縄のジャズ喫茶の話
二小節目
那覇の「ダダ」は自身のアトリエを潰し店内を広げライブが出来るようになり。夜な夜な、仕事がはねた後のバンドマンやジャズメン達が集まりセッションがあったりして実にジャズらしい世界があった。復帰後の混沌とした時勢の中、まるで世間の混迷を映すかのように、様々な人間模様が「ダダ」を取り巻き、そこで生まれた多くの芸術的、文化的、思想的あるいは演歌的状況は今となってはアンヤタンヤーの世界である。
ここで忘れてならない人物が森聡氏である。宮平氏等と共に本土から多くのジャズメンを呼び、コンサートを開いた。日野皓正、山下洋祐&タモリ等々
森氏は、今でも本土のジャズメンとの信頼関係を持ち続けている人物である。石垣のあの「バードランド」の森泉君とは親戚にあたる。氏の事については後に再び触れることとなる。
そのほかにも復帰前後には多くのジャズが聴ける喫茶店があったが、復帰後の沖縄ジャズ喫茶界で大きなエポックは、あの東京渋谷道玄坂の「SAV」が久茂地沖縄銀行裏に越してきたことである。レコードプレーヤーの名品「ガラード」と名器「JBL]を配しジャズの宝庫「ブルーノート」の名盤をはじめ約1千枚のコレクションは見事なものであった。オーナーの比嘉武子女史は今も健在である。
那覇の「ダダ」は自身のアトリエを潰し店内を広げライブが出来るようになり。夜な夜な、仕事がはねた後のバンドマンやジャズメン達が集まりセッションがあったりして実にジャズらしい世界があった。復帰後の混沌とした時勢の中、まるで世間の混迷を映すかのように、様々な人間模様が「ダダ」を取り巻き、そこで生まれた多くの芸術的、文化的、思想的あるいは演歌的状況は今となってはアンヤタンヤーの世界である。
ここで忘れてならない人物が森聡氏である。宮平氏等と共に本土から多くのジャズメンを呼び、コンサートを開いた。日野皓正、山下洋祐&タモリ等々
森氏は、今でも本土のジャズメンとの信頼関係を持ち続けている人物である。石垣のあの「バードランド」の森泉君とは親戚にあたる。氏の事については後に再び触れることとなる。
そのほかにも復帰前後には多くのジャズが聴ける喫茶店があったが、復帰後の沖縄ジャズ喫茶界で大きなエポックは、あの東京渋谷道玄坂の「SAV」が久茂地沖縄銀行裏に越してきたことである。レコードプレーヤーの名品「ガラード」と名器「JBL]を配しジャズの宝庫「ブルーノート」の名盤をはじめ約1千枚のコレクションは見事なものであった。オーナーの比嘉武子女史は今も健在である。
Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 13:55│Comments(0)
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