2009年03月02日
沖縄の
エピローグ
ニューヨークジャズフェスティバルの期間中はカーネギーホール、リンカーンセンター、ラジオシティーホール、ビレッジバンガード、バードランド等毎晩ジャズ漬けであった。
プログラムに無いジャズクラブにも探していった。大体ワンショット付で5ドルの入場料であった記憶である。当時は360円の時代であるから1800円である。その頃の沖縄の物価を考えると高い料金であると思うが、誘惑には勝てなかった。
エルビンジョーンズやエリントン・ソニーロリンズ・あのヤンキースタジアムでの野外コンサートでレイチャールズを聞いた。球場全体が大きな反響を呼び感じた事との無い感動があった。球場はまるでスリ鉢の様で、上の席の人が転げ落ちそうに見えた事を覚えている。
東京を出発する前にもらったスケジュールと注意書きにコンサート会場での写真、録音は厳禁と書かれていたが、小型の録音機とカメラは持参し密かに録音し写真も取った。
コンサートの合間に「SAV」のマッチにある五番外タイムズスクエアーの、その場所に行ってみた。
ベーシストは道を渡っていなかったが、タイムスリップしたような感傷と高揚を覚えている。
「ダダ」を閉めてニューヨークに住んでいた宮平氏の案内でNY近代美術館やソーホ-を巡り、地下鉄でブルックリンに渡り、映画のワンシーンの様なマンハッタン島を川向こうから見る事が出来た。
9・11の時、さまざまな方向からのマンハッタン島の映像がテレビで映し出される時、デジャブーの様にその風景が思い出されるのです。フェスティバルの時、まだあのビルは建設中であり隔世の感がする。
NYの帰りに寄ったロスのホテルはその後ロバート・ケネディーが暗殺されたホテルであった。
那覇に帰ってから録音を聞く機会をもった。当時、石垣正夫氏がやっていた「サイクロン」で集まった皆と聞いたがあまり良い音ではなく、得るものは少なく耳に残った記憶が一番であった。
写真は今、目の前に一枚だけ残っている。マンハッタン島の南の端のフェリー乗り場付近で鳩と話している老人の写真である。当然にセピア色になり、私のこれからを思わせているようにも感じる。

END
Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 13:49│Comments(2)
│ジャズの話
この記事へのコメント
新崎純です。
ジャズの話、が目に止まり開いて見たら中々の内容。
ん? マテヨ? ひょっとして柳生ジューベーさん?
新崎純でブログが開けます。 人違いなら無視して下さい。
人違いでなければ、電話下さい。 逢いたいです。
ジャズの話、が目に止まり開いて見たら中々の内容。
ん? マテヨ? ひょっとして柳生ジューベーさん?
新崎純でブログが開けます。 人違いなら無視して下さい。
人違いでなければ、電話下さい。 逢いたいです。
Posted by ジュンちゃん
at 2009年03月28日 11:35

はじめまして
テリー重田さんのコーナーからお邪魔しました
沖縄のジャズ界のお話とても面白く読ませていただきました
今後も沖縄に限らずジャズのお話を継続してください
楽しみにしています
テリー重田さんのコーナーからお邪魔しました
沖縄のジャズ界のお話とても面白く読ませていただきました
今後も沖縄に限らずジャズのお話を継続してください
楽しみにしています
Posted by 姥桜のかぐや姫
at 2009年07月26日 17:43
