2009年01月10日
沖縄のジャズ喫茶の話
これから何回かに分けて最近投稿した沖縄ジャズ協会への原稿を多少書き加えてお話したいと思います。
「私と沖縄ジャズとジャズ喫茶」
バース・3
宮平氏がラジオ沖縄の山本プロデューサーによるジャス番組に出演していたことから、ある日、宮平氏から私に、やって見ないかと誘いがあり、高校時代放送部にいた事も手伝って臆せず引き受けてしまい、毎週土曜日の夜12時からモンクの名曲をもじって番組の名称は「ジャズ・アバウト・ミッドナイト」、オープニングは「ジ・インクラウド」を使った。
その時からD・J小林徹を名乗り商用電波を足かけ3年以上も私用する事となった。
実はその間この番組はスポンサーが付かなかったのである。
使ったレコードは局のライブラリーと「ダダ」のコレクションや私のコレクションそして、親しいジャズ喫茶主人から借りたりもした。もちろん事前に局に出かけ録音することが常であった。
なぜならば、土曜の夜はいつも何かしかワクワクする事が起きそうな気がするから生放送はしなかった。番組では時に20分以上の曲をかける事もあり。デキシーからアヴァンギャルド、まで実に節操のない曲選びであった。
しかし、
年末の最後の曲は反戦歌でもあるMrサッチモの「このすばらしき世界」である。
つづく・・・・・・・・・・
「私と沖縄ジャズとジャズ喫茶」
バース・3
宮平氏がラジオ沖縄の山本プロデューサーによるジャス番組に出演していたことから、ある日、宮平氏から私に、やって見ないかと誘いがあり、高校時代放送部にいた事も手伝って臆せず引き受けてしまい、毎週土曜日の夜12時からモンクの名曲をもじって番組の名称は「ジャズ・アバウト・ミッドナイト」、オープニングは「ジ・インクラウド」を使った。
その時からD・J小林徹を名乗り商用電波を足かけ3年以上も私用する事となった。
実はその間この番組はスポンサーが付かなかったのである。
使ったレコードは局のライブラリーと「ダダ」のコレクションや私のコレクションそして、親しいジャズ喫茶主人から借りたりもした。もちろん事前に局に出かけ録音することが常であった。
なぜならば、土曜の夜はいつも何かしかワクワクする事が起きそうな気がするから生放送はしなかった。番組では時に20分以上の曲をかける事もあり。デキシーからアヴァンギャルド、まで実に節操のない曲選びであった。
しかし、
年末の最後の曲は反戦歌でもあるMrサッチモの「このすばらしき世界」である。
つづく・・・・・・・・・・
Posted by 鉄瓶・錆び鉄 at 11:07│Comments(0)
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